2017年8月2日

第27回 北千束から来た男

 円谷一ディレクターは、TBSの後輩ディレクターで『ウルトラQ』に参加させてみたい何人かの男がいた。1人は『月曜日の男』(1961−64)という私立探偵物のミステリードラマで、監督だけでなく脚本も書きまくっていた飯島敏宏で、慶応大学出身のスマートな作風も評価していた。

 もう1人が、今野勉や村木良彦たちと同期で「da」というテレビ研究同人誌(アシスタント・ディレクターの頭文字をひっくり返した誌名)をTBS社内の同期7人で出して、毎号オリジナル脚本を書いていた実相寺昭雄だった。早稲田大学出身の実相寺は外務省に半年勤めながら、映画が撮りたいとTBSに入ってきた変わり種のテレビマンであった。

 「まず脚本を書いてみろよ」と円谷一は2人に話してみた。「出来が良かったら、いずれディレクターをやらせるから」という誘いだった。

 飯島敏宏ディレクターは、娘さんの理科の教科書を見てみた。地層の話が載っていて、ふと弾丸道路の工事現場で山の中の自然の地中トンネルに出会って、それが地中に住む怪獣の掘ったトンネルで、そこから工事現場に現れるというストーリーを思いついた。
 さらに、象がネズミを苦手にするイソップ童話をヒントに、その怪獣の天敵がいて、小さな動物がいいな……と考え、小鳥のような姿の怪鳥を思いつく。

「ところが円谷一さんは、鳥の特撮はオヤジ(円谷英二)でもラドンで苦労したんだ、鳥の怪獣はやめて欲しかったなあって言うんだ。心の中で、シャシャーッと画面を横切らせて、羽根の音を立てれば撮れるんじゃないかと思ったけれどね(笑)。
 それで脚本のペンネームを決めろと(円谷)一さんが言うので、当時、北千束に住んでいたから千束北夫にしたら、千束北男と円谷プロが字を間違えて表記しちゃったんだよ」
 と飯島監督は1979年頃、私に語ってくれた。

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