2017年10月28日

EX23 新鋭キャメラマンの軽快な撮影ぶり

 『ウルトラQ』の本編(ドラマ・パート)の撮影には、新鋭のキャメラマンも投入された。ロケーション撮影が続く場合、内海正治キャメラマンだけでは、スケジュールの調整がつかなかったのだ。28話のほとんどを1人のキャメラマンが撮影しているなど、普通ではあり得ないことであった。

 「SOS富士山」と「地底超特急西へ」は、軽快なカッティングの撮影が印象に残るが、これを撮影した新鋭の長谷川清キャメラマンは、『ウルトラQ』の後で東宝スタジオの撮影スタッフに戻り、1967年の松林宗恵監督『社長千一夜』で劇場映画のキャメラマンとしてデビューした後、コメディー映画を6本ほど撮影して、加山雄三、岸田森出演のアクション映画の力作『狙撃』(1968/監督・堀川弘通)の撮影を担当した。

 映画ファンには、1976年から始まる角川映画で、第1作の『犬神家の一族』から『悪魔の手毬唄』(同年)、『獄門島』(1977)、『女王蜂』(1978)、『病院坂の首縊りの家』(1979)と、市川崑監督、石坂浩二主演の金田一耕助シリーズを撮り続けたことで知られ、市川監督とは、続けて山口百恵の引退記念映画となった『古都』(1980)でも組んでいる。

 「カネゴンの繭」を撮影した田島文雄キャメラマンは、等身大の親しみのある怪獣カネゴンのユーモア・タッチの撮影が評価されて、『快獣ブースカ』のメイン・キャメラマンとしてシリーズの映像パターンを確立。その後、若手の森喜弘キャメラマンにバトンタッチして東宝スタジオに復帰し、恩地日出夫監督の『めぐりあい』(1968)で劇場映画デビューして、青春映画の中で力量を発揮した。

 田島文雄キャメラマンはさらに坪島孝監督の『クレージーの殴りこみ清水港』(1970)、花登筺監督の『喜劇 おめでたい奴』(1971)を撮り、TVドラマの撮影に転じていったが、『ウルトラQ』で見せた軽快なフットワークが懐かしい。こうした若いスタッフが腕を磨き、チャレンジする撮影現場だったのだ。

2017年10月23日

EX22 ドラマ・パートの美術マン

 『ウルトラQ』のドラマ・パート(本編)の美術セットを指揮していた清水喜代志美術監督は、東宝映画のベテラン美術マンで、1954年の井上梅次監督『結婚期』を皮切りに、東宝撮影所の美術部長も務めた北猛夫美術総監督の下で美術監督として、マキノ雅弘監督『人形佐七捕物帖 めくら狼』(1955)や中川信夫監督、青柳信雄監督の青春映画、恋愛映画、コメディーと年5、6本をこなしていく。

 『地球防衛軍』の併映作である『サザエさんの青春』(1957/監督・青柳信雄)の美術監督で、本多猪四郎監督の作品では『大怪獣バラン』(1958)『ガス人間㐧1号』(1960)『真紅の男』(1961)の美術を担当。怪獣物でも犯罪アクション物でも、セット設計のリアリスティックな味わいで本多演出を支え続けた。

 『バラン』『ガス人間』の現場で助監督だった梶田興治監督とは旧知の美術スタッフで、『ウルトラQ』では何でも相談し、注文できる間柄だった。また、松林宗恵監督と円谷英二特技監督の『潜水艦イー57降伏せず』(1959)でモノクロ映画のブルーバック合成を経験済みで、『ウルトラQ』のモノクロ合成にその知識を応用した。
 同じ松林監督、円谷特技監督の作品では、北猛夫美術総監督と共に大作だった『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960)の美術セットも手がけていて、いかに実力があったかわかるだろう。
 
 人間が演じるドラマ・パートのスタッフが、ほとんどいなかった円谷プロの『ウルトラQ』の初期から、人材作りを含めてベテラン清水喜代志美術監督の存在と目配りが撮影現場の頼りであった。
 TVマンであるTBSのディレクターたちにとっても、映画の美術マンの構えの大きいセット作りは刺激に満ちたもので、ロケ撮影に工夫するTBSディレクターたちのリズム感がいい方向へ向かい、「ゴメスを倒せ!」「クモ男爵」「SOS富士山」「地底超特急西へ」と軽快なロケ撮影が効果をあげて、次第に画面のビジュアルが厚みを増していった。

2017年10月22日

EX21 劇場映画のキャメラマンの視点

 『ウルトラQ』の各回のドラマ・パートのほとんどを撮影した内海正治キャメラマンは、東宝の劇場映画で丸山誠治監督の『姉さん女房』(1960)以来、千葉泰樹監督の『銀座の恋人たち』(1961)、福田純監督の『情無用の罠』『泣きとうござんす』『暗黒街撃滅命令』(1960〜61)と年4、5本のペースで撮影監督を続けて、1962年からは須川栄三、恩地日出夫といった伸び盛りの俊英監督の話題作から筧正典監督のメロドラマ、『ハワイの若大将』(1963)『国際秘密警察 虎の牙』(1964/いずれも福田純監督)などのヒット・シリーズ、『君も出世ができる』(1964/監督・須川栄三)のようなミュージカル映画までこなしていた。
 
 『ウルトラQ』の撮影には1964年の夏から取りかかるのだが、1962年の谷口千吉監督『紅の空』で特撮パートも経験していて、そう考えると、コメディー・タッチの軽快さから万城目、由利子、一平の会話シーンのモダンさ、アクション物も取り込むエンターテインメント性と、『ウルトラQ』の多彩なTVドラマとしての映像を、東宝映画の撮影現場で鍛えられたキャメラマンが支えたことに改めて思い至る。

 『ウルトラQ』『ウルトラマン』を撮影した後、東宝の劇場映画に復帰した内海正治キャメラマンは、松林宗恵監督の社長シリーズ、坪島孝監督のクレージー・キャッツやザ・ドリフターズ主演のコメディー映画を撮り、やがて東宝テレビ部の『鬼平犯科帳』などTV映画の撮影に参加するようになっていく。
 『ウルトラQ』は、まさに映画で脂がのってきたキャメラマンの充実したテクニックが生みだした映像のドラマだったのだ。

2017年10月21日

EX20 『ウルトラQ』のブルーバック合成の秘密

 2017年9月、中野稔さんと合成について話していて、『ウルトラQ』の技術的な話が続いた。「円谷プロにはブルーバックの設備なんてあったんですか?」と私が聞くと、中野さんはこう答えてくれた。

「円谷プロにはブルーバックの設備なんてないよ。『ウルトラQ』のブルーバック合成やスコッチバック合成は、東宝の設備を夜に借りて、特撮キャメラマンの真野田陽一さんがアルバイトでキャメラを回して、素材作りをやってくれた。
 真野田さんは『ゴジラ』のサード・キャメラマンで、オヤジ(円谷英二)は荒木秀三郎さんみたいに合成撮影もやれるようにしたかったらしくて、円谷プロ創立の時から真野田さんはよく円谷プロに顔を出していた。クレジットに出てないけど、『ウルトラQ』の合成シーンの戦力だったね」

「真野田さんは『帰ってきたウルトラマン』の後半で特技監督になって、10本近く特撮シーンを指揮してたし、映画の『キングコングの逆襲』や『日本海大海戦』の特撮のセカンド・キャメラマンで富岡素敬キャメラマンを支えてたからね。
 オヤジが『ウルトラQ』でブルーバック合成の撮影をやらせた成果じゃないかな。合成の素材やマスク作りを知っているから、合成シーンの組み立ても、いろいろ工夫してたよ」

 円谷プロの技師だけじゃなくて、東宝特殊技術課のスタッフも『ウルトラQ』の特撮シーンを支えていたのである。 


2017年10月20日

EX19 「変身」のクライマックス・シーン

 梶田興治監督は「変身」のラストシーンで、ミニチュア・セットの中に実景の道を歩いていくあや子役の中真千子を合成し、火の見櫓に登らせて、浩二役の野村浩三の巨人の眼前で見つめ合う合成シーンを作り、ミニチュアの火の見櫓の人形のあや子とのカットバックで「お願い、山に帰って!」とあや子に叫ばせ、セリフではなく見つめ合う芝居を成立させた。

「本多猪四郎監督の『キングコング対ゴジラ』のコングと浜美枝の時より、人間の目線と表情で情感が出せたと思ったけど、もうひとつ突っこめなかった。
 その後、本多監督に難しかったという話をしたんだけど、本多組の助監督に戻った『サンダ対ガイラ』の羽田空港のところで、ガイラが事務所の女性職員をつかまえるシーンの本編(ドラマ部分)と特撮のカット設計がすごくて、〝ああ、こういうやり方もあったのか!〟と思った」

「水野久美とガイラ、サンダのカットのつなぎ方、交情の演出は『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』より踏みこんでいて、なるほどなあと思った。『変身』を自分で演出したことで、ドラマ部分の特撮のつなぎ方について、よりわかるようになったということはあったね」
 と、梶田監督は1978年頃、語ってくれた。


2017年10月19日

EX18 特撮セットのない特撮美術

 『ウルトラQ』と題名が決まり、制作がスタートしたのが制作第4話の「206便消滅す」だった。脚本の山浦弘靖とそこに怪獣を書き足した金城哲夫の2人は、東京上空に存在する4次元ゾーンを考えた時、太陽光線が注いでいないのだから、極寒の冷気に包まれた空間と考えていった。

 怪獣が出るので、東宝特殊技術課の渡辺明美術監督に特撮シーンの美術監督を依頼し、そこで〝極寒の世界〟というイメージから、東宝特撮映画『妖星ゴラス』(1962)の怪獣マグマの改造を思いついたのだろう。
  「マグマは円谷英二特技監督のアザラシやセイウチの怪獣という注文で、どう工夫しても怖さが出なくて困ってしまった」とは、渡辺美術監督の弁。そのデザインをリファインして、「アザラシ状の怪獣」という万城目のセリフに合わせて、より生物チックなモンスターに改造している。

 「東宝ではやれないチャレンジをしてみるか」と渡辺明美術監督が挑んだのが、206便の超音速機のミニチュア以外、いっさいミニチュアのセットを作らず、ドライアイスのスモークだけで表現した4次元ゾーンで、氷山かと思わせて、噴き出すスモークの山が怪獣トドラと化すイメージを映像化。リアリズムでない4次元ゾーンのカット・ワークを見せている。それはまるで、不安に襲われた万城目たちの心理に感応したかのような出現シーンだった。

 東宝特撮の怪獣出現シーンは、〝あくまで現実感のあるリアリズムを守り抜く〟という美術設計をつらぬいた渡辺美術監督だが(「甘い蜜の恐怖」ではリアリズムの特撮美術設計をつらぬいている)、4次元ゾーンというイメージに冒険したのだろう。だから、ラストシーンの富士山上空を飛行する206便のリアルな特撮シーンが効果を挙げたのである。
 東宝映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(1965)と同時期の作品で、渡辺明美術監督にとっても、おもしろい仕事だったのではないだろうか。

2017年10月18日

EX17 毎日新報の関デスク

 江戸川由利子(桜井浩子)の勤務している新聞社、毎日新報社会部の関デスクを演じたのは、東宝の俳優・田島義文であった。『空の大怪獣ラドン』(1956/監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二)では敏腕新聞記者を演じ、『ゴジラ』(1954/監督・本多猪四郎)でゴジラ事件に肉薄した新聞記者・萩原を演じた堺左千夫に匹敵する存在感を見せた。

 本多猪四郎監督が頼りにした俳優の1人で、『ガス人間㐧1号』(1959)の主人公の上司である刑事部長、『海底軍艦』(1963)の神宮司大佐の信頼厚い兵曹、『モスラ対ゴジラ』(1964)の悪徳興業主と重要キャラクターを演じ分けた。

 「五郎とゴロー」「バルンガ」「東京氷河期」「1/8計画」(電話の声のみの出演)「2020年の挑戦」「変身」「南海の怒り」「海底原人ラゴン」「ゴーガの像」と登場エピソードは多く、短いシーンでも場面をさらう表情と演技、声にも深みがあり、新聞社デスクのリアリティーをフィルムに刻印した。

 「五郎とゴロー」で見せた行動力と決断力、「東京氷河期」のペギラを追いかけるブンヤ魂、「2020年の挑戦」の試写室のワンシーン出演の演技が、東宝俳優の力量を改めて感じさせた。

2017年10月17日

EX16 TVフレームをはみ出るバルンガ

 SFイラストレーターの小松崎茂さんと話していて、「むかし戦艦大和に乗っていたという人の話を聞いたら、乗り込むのに小型艇で近づいていくと、もう、海の上に山があるみたいで、視界の中に入らないって言うんだよ。その大きさをどう描けばいいのかって、いつも考えたよ」と語っていた。
 それを聞きながら心の中で思っていたのは、『ウルトラQ』の風船怪獣バルンガのことだった。

 「バルンガ」の前半部は、警官2人が見上げる中、ビルの手前に浮かび上がっていったり、高圧線のそばに浮いていたり、TVフレームの中にいるのだが、後半になってくると、東京上空にどれだけの大きさになっているのか計測不能で(低く垂れ込める雲のように、下の東京は暗くならないイメージが見事だ)、いつも実景の東京の上をTVフレームからはみ出すように覆っていて、ミニチュアなのにまるでマットアートの背景画のように東京を圧している。こんな映像のモンスターは、世界でもバルンガだけだろう。

 だから、ラストの「バルンガは宇宙へ帰る」というセリフと共に、宇宙空間に作られた人工太陽を追って、光に向かって上昇していく中で、その全身が見えるのがショックなのだ。
 この計測不能の大きさを出した合成の中野稔技師のセンスは大変なものだと思うし、野長瀬三摩地監督の台本に描かれたラフな絵コンテでも、しっかりフレームからはみ出ているバルンガが描かれていた。胞子状から関東地方くらいの大きさまで、なんだかサイズの感覚が狂いそうで、まさに人間の感性を超えたモンスターなのだ。

2017年10月16日

EX15 巨大生物の特撮表現

 「甘い蜜の恐怖」の特撮シーンのスナップを見ていると、ゴジラやキングギドラをデザインした東宝特殊技術課の渡辺明美術監督が、セットの上で戦車の位置を直している写真があり、『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』『空の大怪獣ラドン』と、スタンダード画面の怪獣映画を手がけた美術監督として、この回の特撮セットの設計をしているのがわかる。

 巨大モグラのモングラーが出現する場面は、地面がどんどん盛り上がってきて、『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(1965/監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二)で地底怪獣バラゴンをセットの中に作った奈落の穴の下から台座ごと上に上げて、土を盛り上げながら出現するシステムに先駆けたもので、バラゴンよりもうまく地底怪獣の香りを画面に作り出していた。鼻息で地面の土を吹き飛ばす描写が生物っぽくて、東宝怪獣では見たことがなく、小学6年生には面白かった。

 怪獣倶楽部の竹内博さんと1976年に渡辺明邸にうかがった時、「特撮セットをリアルに見せるためには、山なら南の方角を決めて、北の方の木の枝を刈り込むんだ。山は陽の光が当たる南の方が木が育つからね」と話してくれ、「映画で造花を使うのが嫌で、必要な花を1ヶ月早く咲かせるために自宅に温室を作って、温度とライトをうまく使って咲かせたこともあるんだ」と言われて、科学的な視点と知識が自然を再現する特撮には必要なんだという話に、竹内さんと2人でびっくりしてしまった。

 「206便消滅す」や「甘い蜜の恐怖」の現場で、川上景司特技監督と『ハワイ・マレー沖海戦』以来に再会し、同年に東宝を定年退職した渡辺明美術監督は川上景司特技監督と組んで、日本特撮株式会社を設立。日活『大巨獣ガッパ』(渡辺明・原案)、松竹『宇宙大怪獣ギララ』、アメリカと合作した東映のSF映画『ガンマー第3号 宇宙大作戦』等の特撮映像を手がけることになる。

 「甘い蜜の恐怖」のモングラーの、いかにも巨大になった生物という、何の違和感もないナチュラルさ。電飾で光る目は、その中でも怪獣らしさを感じさせ(ペギラよりも目にライトを入れたのは早いのではないか?)、生物っぽい巨大怪獣というのもいいものである。

2017年10月15日

EX14 戸川一平というバイプレーヤー

 「マンモスフラワー」を見ていて、万城目淳と江戸川由利子、戸川一平の主人公トリオの会話シーンで、万城目と由利子のやりとりに「おふたりの口ゲンカ見てると飽きないね」と一平が笑う。2人に睨まれる一平だが、由利ちゃんが「淳ちゃん」「一平くん」、万城目が「由利ちゃん」「一平」、一平が「先輩」「由利ちゃん」とそれぞれ呼び合う金城哲夫が考えたこの会話シーンで、「このSFドラマは単なる子供番組とは違うな」と思った。

 戸川一平はギャグ・メーカーの役割も持っていて、「鳥を見た」でスポーツカーに飛び乗るや、両足を上げたまま走って行ったり、「甘い蜜の恐怖」でハニーゼリオンの原液をなめようとして止められ、由利ちゃんに「一平くん、あわや巨人になるところよ」と言われてあわてたり、「宇宙からの贈りもの」で、金の玉だと思って由利ちゃんにネックスレスとしてプレゼントして得点を稼ごうとしたり、どのディレクターも一平のおっちょこちょいで陽気、笑顔をふりまくコメディ・リリーフぶりを作品の中で展開した、

 東宝の助監督時代から、長く一平役の西條康彦の演技力を見てきた野長瀬三摩地監督は「バルンガ」「海底原人ラゴン」「ガラモンの逆襲」と見せ場となる芝居場を用意し、独特のコメディ・センスを持つTBSの飯島敏宏監督は「地底超特急西へ」「2020年の挑戦」で万城目と一平を分離させ、堂々とギャグとシリアスの両方の芝居を西條康彦にやらせて、メイン・ストーリーを進行させた。

 2回ほど西條康彦さんとはイベントでお会いしたが、野長瀬三摩地監督と10年ぶりに再会した時は「三ちゃん」と呼んで固い握手をして、2人で『ウルトラQ』の思い出話に花を咲かせていた。万城目淳、江戸川由利子と共に戸川一平もまた『ウルトラQ』の主役なのだ。

2017年10月14日

EX13 ペギラのメイキング

 1960年頃、高山良策は東映の東京撮影所の知り合いのスタッフから、糸で吊って操る蝶の作り物を頼まれて、操作しやすいように和紙を削って軽く仕上げた数匹を作って、とても喜ばれた。高山が人形映画や人形アニメの映画を作っているのを知っている友人は、東映動画(現在の東映アニメーション)の映画スタジオを見学していかないかと誘ってくれ、1958(昭和33)年にできたばかりのスタジオを見学した。

 戦後すぐの1947〜49(昭和22〜24)年、東宝教育映画でセル撮影のアニメーションを知っていた高山だが、当時はモノクロ映画だった。まるでディズニー映画のようにカラー、ワイド画面用のセルは美しかった。

 東映動画のスタッフに、セルは裏から塗ると表から見てきれいなんですよと言われて、「それくらい知ってるよ」と内心では思ったが、カラーのセルの裏表を見ると、本当にきれいに見えて、「人形の目も透明パーツの裏から色を塗るときれいに見えるかもしれないな」と思って、自宅に帰ってから利子夫人にその話をしてみた。ただし、子供向けの学研や小学館の学年誌のカラーグラビア用の人形はサイズが30センチくらいで、目も小さく、それを応用したことはなかった。

 その記憶が甦って試してみたのが、怪獣ペギラの両目だった。透明のアクリル・パーツの内側から目の玉が塗られていて、目の透明感を高めていた。電球の明るさを調整していたのは機電の倉方茂雄技師で、電圧を高めて明るくすると、目の裏に描かれた目の玉の部分が光の中に消えて、まるで白く光る目のようになり、ペギラの表情に恐怖のイメージを作り出していた。

2017年10月13日

EX12 逆転する合成の構図

 「バルンガ」を見ていて「エッ」と思ったのは、一平(西條康彦)がセスナのエンジンのところにプカプカ浮いていたんだと持ち込んで、机の上に浮かんでいる小さなバルンガの映像の次のカットだ。
 画面中央に静かに上下しながら浮いているバルンガ。机の向こう側でそれを見ている万城目、由利子、一平。バルンガが移動マスク合成で浮いていて、後ろの人物たちのドラマ部分の映像の方が後景で丸ごと合成されている。この映像には子供心にびっくりした。

 合成担当の中野稔技師はこう語ってくれた。
「怪獣がいつも人物の向こう側に合成されている。何とか変えられないかと思っていて、高野宏一キャメラマンと〝やってみませんか?〟と考えたんだ。
 高野さんは東宝特殊技術課で撮影助手をやっていた時、荒木秀三郎キャメラマンに影響を受けたとよく言っていて、〝円谷英二と荒木秀三郎に師事した〟と言ってたからね。荒木さんは合成撮影の名手で『美女と液体人間』の人間を襲う液体人間が手前にいて、奥の美女に迫っていく場面なんてやってて、そう考えると円谷のオヤジさんもやってたんだ」

「飯島(敏宏)さんの『2020年の挑戦』のケムール人の頭が手前にあって、向こうに見下ろした感じで老刑事と警官隊がいる構図もそう。巨大怪獣で手前に合成したというのは、円谷プロが先じゃないかなあ。オヤジさん(円谷英二)が東宝でやっていない合成をやってみようよと、いつも高野さんと話してたからね」

2017年10月12日

EX11 セスナをコントロールする電話ボックス

 『ウルトラQ』の特撮美術監督・石井清四郎は、模型ミニチュア製作とその操演操作を行う石井製作所の社長で、ただ1人の社員が倉方茂雄技師であった。古い会社で、戦前の昭和16(1941)年の東宝映画『南海の花束』(監督・阿部豊)の大型飛行艇のミニチュアを製作している。 

 続く『ハワイ・マレー沖海戦』(1942/監督・山本嘉次郎)のミニチュアにも当然参加しただろう。そこで川上景司特撮キャメラマンと知り合い、昭和18(1943)年、松竹へ川上景司は移籍。昭和31(1956)年、日仏合作映画『忘れえぬ慕情』(イヴ・シャンピ監督)で川上景司特技監督に依頼され、嵐の中の長崎港で揺れる大型船舶の前半部を製作。そのリアリスティックな仕上がりは、この映画の日本映画技術賞特殊技術部門の受賞に貢献。映画業界に石井製作所(石井清四郎、倉方茂雄)の名を高めた。

 成田亨デザイナーに聞くと、長崎港のミニチュア・セットの方は成田さんたちが特殊美術で製作したとのこと。ニュー東映の映画『宇宙快速船』(1961/監督・太田浩児)の宇宙人の大型円盤母船と円盤の金属モデルも、石井製作所のミニチュアだった。

 昭和38(1963)年、円谷プロ設立時に川上景司特技監督に誘われ、模型製作、特撮美術スタッフとして石井清四郎社長と倉方茂雄技師は会社ごと円谷プロに参加し、日活映画『太平洋ひとりぼっち』(1963/監督・市川崑)のヨット・マーメイド号の1/2と1/4スケールの2つの大型ミニチュアを製作した。

 『ウルトラQ』では企画当初の『アンバランス』の時代に、主人公・万城目淳(佐原健二)の乗るセスナ機のミニチュアを製作。そのセスナを操演するために、電話ボックスにクレーンを取り付け、中に乗り込んだ人間が1本レバーの操縦レバーで上下左右にセスナの主翼をバンクするシステムを倉方技師が製作。東京美術センター(スタッフは美センと呼んでいた。後の東宝ビルト)の端の崖からクレーンで突き出して、本物の空バックで旋回したりパンしたりするセスナを撮影し、特撮ステージの空バックの前にクレーンを運んで撮影した。

 「マンモスフラワー」「宇宙からの贈りもの」「甘い蜜の恐怖」「バルンガ」「東京氷河期」と使われたが、ヘリコプターの実機の映像が評判が良くて、星川航空の実機のセスナの方の撮影も慣れてきて多用するようになり、セスナの特撮の出番はしだいに少なくなっていった。

2017年10月11日

EX10 「206便消滅す」のズーム合成

 「206便消滅す」は、まさに『アンバランス』で作られた4次元空間に呑みこまれる超音速旅客機206便の台本(作・山浦弘靖)で、怪獣路線へ変更した『ウルトラQ』とタイトルが刷られた初めての台本(脚本・山浦弘靖、金城哲夫)だった。4次元ゾーンに棲む怪獣のアイデアを金城哲夫が加えたのだ。

 合成担当の中野稔技師は、特撮シーンの画面から始まって、そこからズームバックしてくると、それを見ている人物がいるようなズーム合成をやってみたいと円谷英二社長に提案した。円谷社長は「そんなこと、出来っこない」と大反対。「なぜです?」と聞くと、「それができるなら、俺が東宝特撮でやってる」と言うのだ。
  中野技師は悔しくて、東宝が特製で作ったズームレンズを借り出して、レンズの形状を分析してみた。東宝技術部の岩淵喜一技師長が特別に研磨させたズームレンズは、ハンドメイドのために中央のトップ部分がわずかに中心からズレていて、ズームを回すと、焦点のポイントがわずかにズレて回転していることを突き止める。

  それで、そのわずかに回転する焦点の動きに合わせて、ドラマ部分の映像と、合成する特撮映像の両方を回転同期させ〝らせん回転〟させることで、両画面の光軸を一致させた。206便のコクピットの正面窓から見える、渦状の4次元ゾーンの映像からズームバックして、アクションつなぎにして特撮シーン→本編ドラマのズーム合成に成功したのだ。円谷英二社長は「どうやったんだ、これは?」と中野稔技師に聞いて、ミリゲージの中の微調整のチャレンジに、正直、技術者として呆れつつ、その挑戦を喜んでくれたという。

 実は、あの渦に呑みこまれていく206便は、木製の小型モデルを電気洗濯機を回して作った渦の中に落として、半日撮影し続けていた特撮カットの中で一番感じのいいフィルムを使ったものだ。「800フィート以上回した」というスタッフの話に、「大丈夫か!?」と日記に書いていた円谷英二社長にとって、とりあえずカットが生きたことにホッとした気持ちもあったのだろう。


2017年10月10日

EX9 ナメゴンの演技でひと苦労

 機電というネーミングは、『ウルトラQ』で石井清四郎美術監督が、機械と電気関係の仕事という意味で倉方茂雄技師のために作った造語で、台本のスタッフ表に印刷された。特撮スタッフには「茂ちゃん」と呼ばれて、頼りにされた技術者だった。

 主人公・万城目の機動力となって活躍するセスナ機のミニチュアと操演システム、「あけてくれ!」の空中に浮かぶ都電やロマンス・カーの列車ミニチュア、「206便消滅す」の206便のデルタ翼の金属ミニチュアと木製の小型モデル……それは良かったのだが、人形工房が合成樹脂で製作した火星怪獣ナメゴンの発光する両眼の電飾を付けていたら、「怪獣は美術の範疇だから、中に入る演技もやってくれ」と川上景司特技監督が言いだし、倉方茂雄技師が操作して演技することになってしまった。

 倉方技師は語る。
「崖を突き破って出現するくらいまでは良かったですが、横に動くのはどうしたらいいか。やっては〝そうじゃない〟、動いては〝もっと全身を揺らして〟と試行錯誤の連続。〝ぎこちないくらいでいいんだ〟と言われましたが、自分では判りませんから、次は専門の役者を呼んで下さいと川上さんに必死にお願いして、お役御免になってホッとしました」

 ナメゴンの動きは、妙なアクションの連続で、宇宙生物の生態を感じさせた。演技ではない演技、高野宏一キャメラマンの構図やアングル、合成ラインの組み合わせも見応えがあった。海に落ちていく真上から見たショットも名カットだと思う。

2017年10月9日

EX8 『ウルトラQ』のキャスティング

「『ウルトラQ』のキャスティングは、普通のTVプロの作品と違って、東宝の映画俳優が次々にゲスト出演してくるので、演技陣が厚いなと思いました」と言うと、梶田興治監督はキャスティングについてこう語ってくれた。

「『マンモスフラワー』でも、源田博士役で高田稔さんが出てくれて、一の谷博士役の江川宇礼雄さんと並ぶと、TVの画面でも締まるんだ。『甘い蜜の恐怖』の清水元さんも良かった。アニメの『鉄腕アトム』のアトム役の清水マリさんのお父さんで、劇団を率いていた。黒部進たちの上に清水元さんクラスを置くから、ドラマになるんだ」

「あと、脇役が多かった黒部進も沢井桂子と恋仲にして、二枚目をやらせてみた。東宝は上に主役がズラリといるから、なかなか映画で主役を演じられないんだ。もったいないと助監督の時、いつも思っていたんで、『ウルトラQ』のキャスティングではいつもそれを考えていた」

「TBSのディレクターたちは、新劇の思わぬキャスティングを組んできて、東宝の映画俳優だけで作ってないのが良かったんじゃない? ナレーションの石坂浩二さんも円谷一さんの推薦だった。東宝の演技事務が頑張ってキャストを組んでくれて、現場で役者に困ったことはなかったね」

2017年10月8日

EX7 ミュータントがやってきた!

 『アンバランス』の企画が始まった頃について、梶田興治監督はこんな話をしてくれた。1979年頃のことだ。

「1963年から1964年にかけて、ミュータントという言葉が妙に流行った時代で、突然変異という意味だけじゃなくて、後の新人類みたいな新しい世代が出てきたというよなイメージで、略してミューとか言ったり、僕が助監督をしていた東宝映画『海底軍艦』(1963/監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二)の中で、ムー帝国の映画フィルムを入れた箱に〝MU〟と書いてあるのも、このミューに引っかけてあるんです」

「1962年頃からソビエトがアジア地区で原水爆実験をしていて、このミュータントの感じも『アンバランス』の中には入っていて、放射能だけじゃなくて、いろいろなバランスが壊れた時、怖ろしい異変が始まるというイメージを出せたんだと思うよ」

 思い出してみると、ソビエトの原水爆実験の後、雨が降っていると、大人の人から「雨に放射能が入っているから、頭が濡れるとハゲるぞ」とか脅かされて、空の黒雲を見上げるとゴジラの幻影を見たように思ったものだが、『アンバランス』の企画時は、そういう時代だった。

2017年10月6日

EX6 TVマンが見た映画人の演技

 「鳥を見た」の撮影現場で、中川晴之助監督は三脚の上に置かれたミッチェルの35ミリ撮影キャメラをじっくりと見ていた。芸術祭参加作品の長編TVフィルム『カルテス・カルロス 日本へ飛ぶ』(1963年)で文部大臣賞奨励賞を受賞していた中川監督だが、使ったのは16ミリ・フィルムで、技術的な興味から内海正治撮影監督にもいろいろな質問をしてみた。

 一の谷研究所の1シーンで、一の谷博士役の江川宇礼雄の演技を見ていて、何人かと映っているロングと単独のバストアップ、クローズアップで江川宇礼雄の演技と表情のつけ方が違うのに気づいたという。
 昼食の時、中川監督がそのことを聞いてみると、江川宇礼雄は笑いながら答えてくれた。

 映画は順撮りじゃない。カットごとに意味があって、戦前に自分の映画プロダクションを持っていた時、ロング、バストサイズ、クローズアップ、左右の横顔……と自分の演技を撮影して、このサイズではこうした方がいいとか、アップの時の目線の芝居はこうとか、サイズに合わせて工夫したことがあって「例えば志村喬さんなんか、うまいもんだ。TVの人はどうですか」と、逆に訊かれたというのだ。

 「走ってもらうと全力疾走だし、そのカットは使ってないけど熱演してくれて、映画で長年やってきた人の演技はさすがだと感心したんだ」と、中川監督は江川宇礼雄の思い出を語ってくれた。

2017年10月5日

EX5 野長瀬監督の後悔とは何か?

 「ペギラが来た!」の話が盛り上がった後で、野長瀬三摩地監督が思い出したように語り出した。
「『ペギラが来た!』で、うっかりしたというか、悪いことをしたなあと今でも後悔してることがひとつあって、氷の下で眠っているヒロインのフィアンセの野村隊員が出てくるだろう。あの〝ペギラが来た……〟という手帳の持ち主」

「重要な役で、ガラス板の下で目をつむってもらって、映像にも出てくるんだけど、カットを削って編集を続けていったら、彼の目を開けてる写真とか、ヒロインと2人で写ってる思い出の写真をうっかり入れ損なっていて、あの氷の下で目を閉じているカット以外、出てこないんだよ(笑)」

「完成試写で気がついたんだけど、後の祭り。彼にもすまなかったと謝ったんだけど、悪いことしちゃったよなあ。ガラス板の下で氷づけのメイクをして、けっこう頑張ってくれてたのに。かなり注意してたのに、ポッカリ忘れることってあるんだ。それから、編集の時にミスはないかと気をつけるようにしたんだよ」

 あまりにその映像が短くて、野村隊員役のキャストが誰か判らない。うっかり野長瀬監督に俳優名を聞き損なってしまった。

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