2017年10月28日

EX23 新鋭キャメラマンの軽快な撮影ぶり

 『ウルトラQ』の本編(ドラマ・パート)の撮影には、新鋭のキャメラマンも投入された。ロケーション撮影が続く場合、内海正治キャメラマンだけでは、スケジュールの調整がつかなかったのだ。28話のほとんどを1人のキャメラマンが撮影しているなど、普通ではあり得ないことであった。

 「SOS富士山」と「地底超特急西へ」は、軽快なカッティングの撮影が印象に残るが、これを撮影した新鋭の長谷川清キャメラマンは、『ウルトラQ』の後で東宝スタジオの撮影スタッフに戻り、1967年の松林宗恵監督『社長千一夜』で劇場映画のキャメラマンとしてデビューした後、コメディー映画を6本ほど撮影して、加山雄三、岸田森出演のアクション映画の力作『狙撃』(1968/監督・堀川弘通)の撮影を担当した。

 映画ファンには、1976年から始まる角川映画で、第1作の『犬神家の一族』から『悪魔の手毬唄』(同年)、『獄門島』(1977)、『女王蜂』(1978)、『病院坂の首縊りの家』(1979)と、市川崑監督、石坂浩二主演の金田一耕助シリーズを撮り続けたことで知られ、市川監督とは、続けて山口百恵の引退記念映画となった『古都』(1980)でも組んでいる。

 「カネゴンの繭」を撮影した田島文雄キャメラマンは、等身大の親しみのある怪獣カネゴンのユーモア・タッチの撮影が評価されて、『快獣ブースカ』のメイン・キャメラマンとしてシリーズの映像パターンを確立。その後、若手の森喜弘キャメラマンにバトンタッチして東宝スタジオに復帰し、恩地日出夫監督の『めぐりあい』(1968)で劇場映画デビューして、青春映画の中で力量を発揮した。

 田島文雄キャメラマンはさらに坪島孝監督の『クレージーの殴りこみ清水港』(1970)、花登筺監督の『喜劇 おめでたい奴』(1971)を撮り、TVドラマの撮影に転じていったが、『ウルトラQ』で見せた軽快なフットワークが懐かしい。こうした若いスタッフが腕を磨き、チャレンジする撮影現場だったのだ。

2017年10月23日

EX22 ドラマ・パートの美術マン

 『ウルトラQ』のドラマ・パート(本編)の美術セットを指揮していた清水喜代志美術監督は、東宝映画のベテラン美術マンで、1954年の井上梅次監督『結婚期』を皮切りに、東宝撮影所の美術部長も務めた北猛夫美術総監督の下で美術監督として、マキノ雅弘監督『人形佐七捕物帖 めくら狼』(1955)や中川信夫監督、青柳信雄監督の青春映画、恋愛映画、コメディーと年5、6本をこなしていく。

 『地球防衛軍』の併映作である『サザエさんの青春』(1957/監督・青柳信雄)の美術監督で、本多猪四郎監督の作品では『大怪獣バラン』(1958)『ガス人間㐧1号』(1960)『真紅の男』(1961)の美術を担当。怪獣物でも犯罪アクション物でも、セット設計のリアリスティックな味わいで本多演出を支え続けた。

 『バラン』『ガス人間』の現場で助監督だった梶田興治監督とは旧知の美術スタッフで、『ウルトラQ』では何でも相談し、注文できる間柄だった。また、松林宗恵監督と円谷英二特技監督の『潜水艦イー57降伏せず』(1959)でモノクロ映画のブルーバック合成を経験済みで、『ウルトラQ』のモノクロ合成にその知識を応用した。
 同じ松林監督、円谷特技監督の作品では、北猛夫美術総監督と共に大作だった『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960)の美術セットも手がけていて、いかに実力があったかわかるだろう。
 
 人間が演じるドラマ・パートのスタッフが、ほとんどいなかった円谷プロの『ウルトラQ』の初期から、人材作りを含めてベテラン清水喜代志美術監督の存在と目配りが撮影現場の頼りであった。
 TVマンであるTBSのディレクターたちにとっても、映画の美術マンの構えの大きいセット作りは刺激に満ちたもので、ロケ撮影に工夫するTBSディレクターたちのリズム感がいい方向へ向かい、「ゴメスを倒せ!」「クモ男爵」「SOS富士山」「地底超特急西へ」と軽快なロケ撮影が効果をあげて、次第に画面のビジュアルが厚みを増していった。

2017年10月22日

EX21 劇場映画のキャメラマンの視点

 『ウルトラQ』の各回のドラマ・パートのほとんどを撮影した内海正治キャメラマンは、東宝の劇場映画で丸山誠治監督の『姉さん女房』(1960)以来、千葉泰樹監督の『銀座の恋人たち』(1961)、福田純監督の『情無用の罠』『泣きとうござんす』『暗黒街撃滅命令』(1960〜61)と年4、5本のペースで撮影監督を続けて、1962年からは須川栄三、恩地日出夫といった伸び盛りの俊英監督の話題作から筧正典監督のメロドラマ、『ハワイの若大将』(1963)『国際秘密警察 虎の牙』(1964/いずれも福田純監督)などのヒット・シリーズ、『君も出世ができる』(1964/監督・須川栄三)のようなミュージカル映画までこなしていた。
 
 『ウルトラQ』の撮影には1964年の夏から取りかかるのだが、1962年の谷口千吉監督『紅の空』で特撮パートも経験していて、そう考えると、コメディー・タッチの軽快さから万城目、由利子、一平の会話シーンのモダンさ、アクション物も取り込むエンターテインメント性と、『ウルトラQ』の多彩なTVドラマとしての映像を、東宝映画の撮影現場で鍛えられたキャメラマンが支えたことに改めて思い至る。

 『ウルトラQ』『ウルトラマン』を撮影した後、東宝の劇場映画に復帰した内海正治キャメラマンは、松林宗恵監督の社長シリーズ、坪島孝監督のクレージー・キャッツやザ・ドリフターズ主演のコメディー映画を撮り、やがて東宝テレビ部の『鬼平犯科帳』などTV映画の撮影に参加するようになっていく。
 『ウルトラQ』は、まさに映画で脂がのってきたキャメラマンの充実したテクニックが生みだした映像のドラマだったのだ。

2017年10月21日

EX20 『ウルトラQ』のブルーバック合成の秘密

 2017年9月、中野稔さんと合成について話していて、『ウルトラQ』の技術的な話が続いた。「円谷プロにはブルーバックの設備なんてあったんですか?」と私が聞くと、中野さんはこう答えてくれた。

「円谷プロにはブルーバックの設備なんてないよ。『ウルトラQ』のブルーバック合成やスコッチバック合成は、東宝の設備を夜に借りて、特撮キャメラマンの真野田陽一さんがアルバイトでキャメラを回して、素材作りをやってくれた。
 真野田さんは『ゴジラ』のサード・キャメラマンで、オヤジ(円谷英二)は荒木秀三郎さんみたいに合成撮影もやれるようにしたかったらしくて、円谷プロ創立の時から真野田さんはよく円谷プロに顔を出していた。クレジットに出てないけど、『ウルトラQ』の合成シーンの戦力だったね」

「真野田さんは『帰ってきたウルトラマン』の後半で特技監督になって、10本近く特撮シーンを指揮してたし、映画の『キングコングの逆襲』や『日本海大海戦』の特撮のセカンド・キャメラマンで富岡素敬キャメラマンを支えてたからね。
 オヤジが『ウルトラQ』でブルーバック合成の撮影をやらせた成果じゃないかな。合成の素材やマスク作りを知っているから、合成シーンの組み立ても、いろいろ工夫してたよ」

 円谷プロの技師だけじゃなくて、東宝特殊技術課のスタッフも『ウルトラQ』の特撮シーンを支えていたのである。 


2017年10月20日

EX19 「変身」のクライマックス・シーン

 梶田興治監督は「変身」のラストシーンで、ミニチュア・セットの中に実景の道を歩いていくあや子役の中真千子を合成し、火の見櫓に登らせて、浩二役の野村浩三の巨人の眼前で見つめ合う合成シーンを作り、ミニチュアの火の見櫓の人形のあや子とのカットバックで「お願い、山に帰って!」とあや子に叫ばせ、セリフではなく見つめ合う芝居を成立させた。

「本多猪四郎監督の『キングコング対ゴジラ』のコングと浜美枝の時より、人間の目線と表情で情感が出せたと思ったけど、もうひとつ突っこめなかった。
 その後、本多監督に難しかったという話をしたんだけど、本多組の助監督に戻った『サンダ対ガイラ』の羽田空港のところで、ガイラが事務所の女性職員をつかまえるシーンの本編(ドラマ部分)と特撮のカット設計がすごくて、〝ああ、こういうやり方もあったのか!〟と思った」

「水野久美とガイラ、サンダのカットのつなぎ方、交情の演出は『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』より踏みこんでいて、なるほどなあと思った。『変身』を自分で演出したことで、ドラマ部分の特撮のつなぎ方について、よりわかるようになったということはあったね」
 と、梶田監督は1978年頃、語ってくれた。


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