2017年7月31日

第25回 怪獣ファンが語り合って見えるもの

 私が23歳の頃、18歳の怪獣ファンの友人、原口智生さんと話していて「バルンガ」の話になった。

 「台風のエネルギーを吸って、バルンガがダブラシのオーバーラップ映像でドクン、ドクンと大きくなっていく合成シーンが良かったよね」と私。すると原口さんが「あの時、停電した病院に一平が大怪我して入院している。由利ちゃんが〝死んじゃイヤよ、一平君〟と言うんだけど、ロウソクの揺れる炎のように一平の命も揺らいでいる。バルンガの台風も呑み込む生命力と一平の揺れている命。その対比がバルンガの生命力をさらに光らせているんですね」と言った。それは私が全く考えていなかった視点で「へーっ」と感心してしまった。

 熱心な怪獣と特撮映画の研究グループだった「怪獣倶楽部」の例会で、ゴジラ研究と円谷英二研究の竹内博、子供ヒーロー番組と怪獣造形研究の安井ひさし、東宝特撮とテレビ・ヒーロー物全体を追っていた金田益実、青春映画・アニメ・映画作家と守備範囲が広い中島紳介、富沢雅彦、英米のホラー映画・香港映画と映像の美少女、美人女優に詳しい徳木吉春、年間200本の映画を観ていて外国テレビドラマの研究もしていた岩井田雅行、写真撮影と模型雑誌に詳しい平田実、SFファンダム出身で円谷プロ、外国テレビが好きな私と揃っている中で、ある時、当時16歳だった原口さんがこう聞いた。

 「『ウルトラセブン』のハイドランジャーって、船体脇の吸排水口が84個と78個の2つのモデルがあって、どっちのモデルが先に作られたんでしょう?」
 「そんな物の数まで数えるか、普通」と一同はひっくり返ったが、まじめな顔で安井ひさしさんが言った。
 「原口君のその指摘はとても重要だ。ハイドランジャーのモデルを今、新しく作ろうとした時、その穴の数を決めておかないと作れないからね」

 年齢は関係ないんだ。要は作品を見つめている視線なんだと思った。
「特撮メカの研究は原口君に任せればいいな」と竹内さんが言うと、「これからはメカ口智生と名乗るといい」と安井さんがのんきに笑う。そして怪獣談義は果てしなく続いていく。


2017年7月30日

第24回 怪獣ファンの評価が低かった「バルンガ」

 入魂の仕事だった「ペギラが来た!」だが、「バルンガ」(脚本・虎見邦男)も野長瀬三摩地監督がこだわった作品だった。

 もともとの脚本は、風船怪獣が日本社会のあらゆるエネルギーを吸収してしまい、皆、自転車で移動するようになり、社会が大混乱するという、一種の童話みたいな話だった。野長瀬監督はもっとシリアスにしてみようと、作者の了解を得て、社会学的、哲学的なセリフを奈良丸博士や万城目の会話に付け加えた。

 モンスターとしてのバルンガの魅力は、小学校低学年にはなかなか難しく、私は小学5年生の時、エリック・フランク・ラッセルの『みえない生物バイトン』(翻訳・矢野徹。『超生命ヴァイトン』のジュブナイル版)を読んでいてSFを少し知っていたので、バルンガの回を見て「これはSFなんじゃないか?」と思い、「君は洪水に竹槍で立ち向かうのかね。バルンガは自然現象だ。文明の天敵というべきか……」という奈良丸博士のセリフになんてかっこいいんだと感動した。

 ロバート・シェクリイというSF作家の名作『ひる』は、エネルギーを吸う宇宙生物の話で、明らかに「バルンガ」はその影響を受けているが、野長瀬監督のダイアローグ演出や、ドクン、ドクンという心臓の音と共に東京上空に浮かぶバルンガの合成シーンで、受ける印象はまるで違うものになっている。
 SFファンが騒いだことで評価が高まった、『ウルトラQ』のSF編の傑作であった。

2017年7月29日

第23回 初監督だからできたオープニング

 『ウルトラQ』の放送第2話だった「五郎とゴロー」を見ていて、伊豆の山にかかったロープウェーが揺れて、突如そのロープをつかんで宙に浮いている巨大な日本猿。そのインパクトは強烈で、ロープウェーの駅舎の上にグッと身を乗り出す巨大猿の合成も良かった。

 そして、巨大猿の全身が映り、始まるオープニング。カシャッ、カシャッとシャッター音が聞こえる感じで、ストップモーションで巨大猿の映像が画面の左右から出てきて、ブレている映像の流動感にシビれた。

 有川貞昌特技監督にその感想を伝えると、こう答えてくれた。
「東宝の映画では、特殊技術のキャメラマンの僕らがオープニングはこんな感じで、とは言い出せない。監督が決めることだからね。ディレクターの円谷一さんは『ゴジラ』と『ゴジラの逆襲』で演出の助手をやっていたから知っていたし、円谷家にはいつも顔を出していたから、こういう手もあるよと話しやすかった」

「僕の特技監督のデビュー作だから、オープニングをやりたいと言えたんだね。クレーンをゴローの手に見立てたり、五郎とゴローの目線芝居も東宝とはちょっと違う合わせ方にしたり、合成の中野稔君にもいろいろ注文を出した。
 ゴローが牛乳を飲んで口からこぼれるカットも気に入っていて、〝怪獣は何を食べているんだ?〟って、よくいろんな人に言われていたから、食べるシーンははっきり出したんだ」

2017年7月28日

第22回 野長瀬監督VS円谷英二の戦い

 円谷英二社長にとって、「ペギラが来た!」の完成度は『ウルトラQ』のエンターテインメントとしての可能性を見せる作品になるはずだった。東宝映画の本多猪四郎監督との仕事では、本多監督は脚本を線で割っていく〝字割り〟で、両者の演出を読み合って1本に編集していく。

 だが、今回はドラマ側の監督がその特撮を受けるカットをサイズ(アップか、バストショットか、ロングか)、長さ、アングル(アオリか、見下ろすか、正面か)まで計算して撮影してくれている。特技監督・円谷英二にとって、初体験ともいうべき特撮シーンの撮影にノリにノッた。

 さあ、本編ドラマ班のパート、特撮班のパートを合わせる編集が始まった。円谷英二は編集しながら特撮を生かすため、本編パートを少し切り始めた。野長瀬三摩地監督は黒澤監督仕込みの監督権限で、円谷が増やした特撮カットを「これは要らない」と切って行く。何度も何度もフィルムが行き来するうちに、どんどん互いのカットが短くなっていった。

 円谷家の庭にある円谷技術研究所で「これがベストだ。最高の仕上がりになった」と円谷英二。翌日、野長瀬監督は自分のベスト版と違っているのを見て、円谷英二がさらに手を入れたことを知った。

 当時、特撮班の演出助手だった大木淳さんの話。
「ここでもし、野長瀬さんが監督として、自分の編集に戻せと言ったらどうなるんだ。円谷社長の意地もあるし……。すると野長瀬さんが〝円谷さんがこれがベストと言ったのなら、オレが折れよう。天下の円谷英二がそう言ってくれただけで、オレは満足だ〟と言ったんです」

 野長瀬監督に取材した時、この話はかけらも出なかった。私は大木さんと、記録の宍倉徳子さんからこのエピソードを聞いただけである。
 こうして、円谷英二が編集した「ペギラが来た!」を私たちは見ていたのだ。対する野長瀬監督のベスト版は、どういう形だったのだろうかと夢想するばかりだ。

2017年7月27日

第21回 ペギラを演出し始める円谷英二

 「ペギラが来た!」の撮影が始まり、ドラマ部分はオールセットだから野長瀬監督の本編パートは順調に撮影が進んでいく。ところが、川上景司特技監督の特撮パートで問題が起き始める。ラッシュの仕上がりが悪く、OKカットがなかなか出てこないのだ。高野宏一キャメラマンも頭を抱えてしまった。

 トラブルが起きていることに気づいた円谷英二社長が「どうしたんだ? とりあえず上がっているラッシュを見せてごらん」と撮影済みのラッシュ・フィルムをすべて上映してみた。
「(試写室の明かりが点いて)ううん……高野、野長瀬君が描いた絵コンテを君も台本に写したろう、それを見せてみな」と円谷英二。高野キャメラマンが台本に転記したコンテを円谷社長に見せながらページをめくっていく。

 同席していた中野稔さんは回想する。
「ああ、これじゃダメだと円谷のオヤジさんが言ってさ。川上景司さんにこう言ったんだ。〝川上君、君は絵コンテの構図をなぞっているだけだ。ワンシーンの不気味な前兆、盛り上がっていくサスペンス、怪獣が近づいてくる時の人間側の恐怖を読み取って、それをフィルムに演出しなくちゃダメだろう〟。それで野長瀬監督がなかなかOKしないのかと思った」

「で、いろいろ話し合っていたけど、円谷のオヤジが〝よし、この後は僕がやろう。君は他の回の準備をしてくれ〟。そして『ペギラが来た!』の回はオヤジが陣頭指揮して特撮シーンを撮り始めたんだ。楽しそうだったよ」

2017年7月26日

第20回 怪獣を作り出すクリエーター(その4)

 ペギラは高山良策にとって『ウルトラQ』で初めて作り上げた怪獣のぬいぐるみスーツであった。奥様の高山利子さんに聞いた話では、横浜の洋書を扱う本屋に行って、動物の骨格や筋肉の構造に関するぶ厚い英文の本を入手して、怪獣作りの参考にしたという。

 素材となるラテックスは、『鯨神』の3メートルサイズのクジラを作る時、京都の造形家だった大橋史典から原料とその加工と完成までのノウハウを学んでいて、自分流に工夫を続けていた。

 デザイン画のペギラは、大地を踏みしめて立つ巨獣で、安定感を出すため2本の太い脚、大きな脚のフォルムをまず決めた。幅広い翼も、こんな生物は実際にはいないわけで、アフリカ象の立派な耳のようなイメージを出せるだろうかと考えていく。

 肌の処理にも悩んだが、成田亨デザイナーから「象や犀のような、たっぷりと量感のある大きな動物の肌のイメージではどうでしょう、色も犀のような感じで」とアドバイスがあり、脂肪の固まりのようなコブのモールドも考えついた。

 ペギラを見た時、頭部から顔面、鼻、口と立体的な生体フォルムともいうべき曲線が見事で、最初のペギラから高山カーブとでも呼びたいラインが怪獣の体に生まれていて、ペギラが翼を振る時には「私は見た。たしかに未知の怪獣だ!」と思わせる、全身に流れるような動きがぬいぐるみスーツに与えられていた。

 『ウルトラマン』の、レッドキング、ゴモラも同じで、ダイナミックな動きの中で、うねるように見える全身や尻尾は高山怪獣の素晴らしい特徴だった。

2017年7月25日

第19回 怪獣を作り出すクリエーター(その3)

 成田亨さんは複雑な表情でペギラの話を続けた。
「ペギラの回は、南極基地の特撮セットもデザインしたし、南極海を進む船や氷の浮かぶ海、雪原、氷山のセットデザイン、特撮カットの絵コンテも描いて特撮美術監督の仕事もやったからね。石井清四郎さんは船やトラクター、気象ミサイルのような出物のミニチュアに集中してもらった。やりがいのある仕事だったよ」

 造形の高山良策はもともと東宝教育映画の社員で、昭和23年『ムクの木の話』というアニメでは、平原とムクの木のミニチュア・セットをデザイン、造形していてアニメの冬狼が襲来して平原を氷の世界に変えていくアニメ+特撮場面を作った(このアニメ・パートの合成は鷺巣富雄が担当していた)。
 
 他にも飯沢匡プロデュースのアサヒビールのCMの人形アニメで人形造形、学研アニメの『注文の多い料理店』『ポロンギター』の美術監督として人形造形とセット・デザイン、大映京都撮影所でアメリカとの合作映画『あしやからの飛行』のレスキューヘリが向かう山と教会の特殊美術造形、大映東京撮影所の映画『鯨神』の3メートル近いクジラのミニチュア、ディズニー映画『ぼくはムク犬』の宣伝用のムク犬のぬいぐるみ(植毛したその仕上がりは見事で、ディズニープロから雇いたいとオファーがあったほどだった)と、特撮とは長く付き合ってきたクリエーターだった。

 そしてペギラは、高山さんにとって運命の怪獣となる!


2017年7月24日

第18回 怪獣を作り出すクリエーター(その2)

 ペギラのあの形が決まるまで、さまざまなプロセスがあった。まず初期稿の台本(山田正弘・作)から、東宝特殊美術課の井上泰幸美術副監督が羽毛の生えた翼をもつ巨大な直立モンスター(この段階で、ペギラの特徴である2本の上から生えた牙も後ろの尾もちゃんとあった)のデザインを上げていた。

 感じとして巨大なペンギン風の鳥のモンスターなのか、同時に恐竜のような肌のイメージもあった。ちょうど巨大グモや巨大猿のゴロー、ゴメス、リトラのデザインと同じ頃だったのだろう。

 南極が舞台で、予算がかかりそうで監督が決まらず、ペンディングしていた脚本だった。そこに野長瀬三摩地監督がやってきたのだ。怪獣を作り出すクリエーターも新鋭が参加していた。

 円谷英二が日本テレビの正力松太郎会長に頼まれ、指導に参加していたよみうりランドの水中バレー・ショーで、浦島太郎が乗る海亀を造形していた高山良策。古くは『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』でビルのミニチュアの石膏モデルを製作し、東映映画『宇宙快速船』、東映テレビ『ナショナル・キッド』の特撮美術監督・デザイナーに成長していた成田亨が井上泰幸の紹介で円谷プロのデザイナーに参入したのである。

「井上さんのデザインを見て、巨大感が出ないから羽毛は要らないだろうと取って、頭に角を付けたかな。台本に表情が出るとはっきり書いてあったから、目も大事にしようと。あと全体にボリューム感を出そうと。高山良策さんとは象や犀のような大きな動物の肌や、ちょっとたるんだ肉の話をしたと思う」
 と成田亨さんは回想してくれた。

2017年7月23日

第17回 特撮映画をフル絵コンテ化した二人の監督

 日本の特撮映画の長い歴史の中で、映画のすべてのシーンを絵コンテ化して割ってみせたのは、二人の監督しかいない。しかも1965年(昭和40年)、東京と京都で同時に。
 一人は『ウルトラQ』の「ペギラが来た!」と「東京氷河期」の野長瀬三摩地監督。もう一人は、大映京都撮影所で『大魔神』と翌年『妖怪百物語』を撮った安田公義監督である。

 安田公義監督は、美術大学出の映画監督で、トレーシングペーパーに全カットを器用に絵コンテにして、全スタッフにそれを配って各パートの演出、設計に間違いのないようにした。こんな例は世界にもなくて、おそらく「ペギラが来た!」の方が先行して作業が行われていたようだ。

 ペギラの目がカッと見開く場面は、野長瀬監督のコンテにあって、その注文でデザインの成田亨、ぬいぐるみ造形の高山良策、目を動かすギミック(機電)担当の倉方茂雄が作り上げた。

 倉方さんは「ペギラの目は失敗でした。表面に塗装したら、まぶたがゴワゴワしてしまって、いくらワイヤーで引っ張っても目が閉じない。薄目を開いたままになってしまいました。カッと目を開くところで、本当はちゃんと目を閉じる予定だったのが、うまくいかなかったのです」と正直に証言してくれた。
 しかし、その薄目で光っているペギラの目が異常に怖い印象を作り出していたのだ。

2017年7月22日

第16回 フル絵コンテに挑む野長瀬監督

 野長瀬三摩地監督は黒澤組にチーフ助監督として付いた時、黒澤明監督のイメージボードと簡単なスケッチでも映像が思い浮かぶ指示にいつも驚かされた。もう一人、よく助監督で付いた稲垣浩監督も、ここぞというシーンでは器用にスケッチを描いて美術スタッフに指示を出していた。京都の有名な日本画家・野長瀬挽歌を父に持つ野長瀬監督も絵心があり、特撮もやる気満々だった。

 1978年夏、世田谷区成城の西にある喜多見市の野長瀬邸を訪ねた時、監督は『ウルトラQ』の台本を机の上に並べて、
「『ウルトラQ』はどの作品にもいろいろな思い出があるんだけど、特に『ペギラが来た!』と『東京氷河期』の2本は、全カット絵コンテにしたから特別だった」
 と、ページを開いて私に見せてくれた。

 台本の上3分の1は、ふつうメモなどを書き込むために余白になっているが、そこに鉛筆で四角いフレームの画面が描いてあって、その回りを青鉛筆で囲ってあるのが特撮シーン、赤鉛筆で囲ったのが合成シーンの指示であった。
 印象的だったシーンを見てみると、氷を掘っている万城目たち。氷山の向こうから近づいてくるペギラ。最初は気づかず、ハッとして振り向く万城目。ペギラ、冷凍光線を吐き出す。実際の画面そのままのコンテだった。

 「この人があのシーンを思いつき、作ったのか!?」心の中で確信した。野長瀬監督はそんな私を見てただ笑っている。

2017年7月21日

第15回 「金がかかりますよ、いいんですね?」

 円谷プロに野長瀬三摩地監督がやってきた時、金城哲夫たち円谷プロのメンバーにはある緊張があった。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』『生きものの記録』や、本多猪四郎監督『モスラ』のチーフ助監督を務めた人である。

 円谷プロに積んであった脚本を読んでいた野長瀬監督が「この作品にしよう」と選んだのは、山田正弘脚本の「ペギラが来た!」だった。山田正弘は円谷一、中川晴之助たちにとって先輩のTBS大山勝美ディレクターと名コンビの脚本家で、三島由紀夫原作の「鏡子の家」(岸田今日子の主演で評判だった)や「石原慎太郎ミステリー」などの不条理ミステリーの脚本で話題であった。

 「自分なりのゴジラを撮ってみたい」と野長瀬監督は思っていた。「未知の生物である怪獣と対決する人間の英知と勇気を描いてみたい」黒澤組育ちの野長瀬監督にとって、東宝特撮映画にはある種の不満があった。ミステリーやSFも愛読していた読書家で、そんな作品が作れる気がしていた。

 円谷英二社長に会って「この作品は金がかかりますよ、いいんですね」と重ねて確認した。ロケ撮影は一切なし。オールセットで南極を描き、セットには氷柱を立て、越冬隊の雪上車は実物大で製作する。円谷プロでは「ペギラの1本目は、まるで映画だった」とスタッフが長く語り伝えていた。

 野長瀬監督は一人黙々と、ある作業を続けていた。自分のイメージをすべてのスタッフに伝えるための作業だった。

2017年7月20日

第14回 ペギラがもたらした巨大なもの

 『ウルトラQ』の放送第5話だった「ペギラが来た!」は、子供たちにとって『ウルトラQ』を象徴する一編となった。

 まず南極を舞台にしたストーリーが珍しく「そんなストーリー、ありかよ」とひっくり返った。さらに、いつもは3人のレギュラー主人公なのに、万城目淳(佐原健二)だけが南極に向かう調査船に乗っている導入部には「これから先、どういう物語になるのか?」とびっくりだった。

 突如、暖かかった空に異様な黒煙が走ると、たちまち大寒波がやって来て昭和基地に閉じ込められる日本隊。まさに息もつかせぬ展開で、宙を舞う雪上車、クレバスに落ちた雪上車が頭上の空に蜃気楼のように映ったのか……と思わせる不思議な場面。

 女性隊員が一人、雪上車で基地を脱け出し、あとを追う万城目たち。彼女は前の越冬隊で行方不明になった野村隊員のフィアンセで、彼の消息を調べに来たのだ。野村隊員の飼っていた犬がいて、その足もとの氷原で氷づけになった野村隊員を発見した万城目たちが掘り出そうとしていると、氷山の向こうから何かが近づいてくる。犬が吠えるが、万城目たちは気づかない。

 そして出現するペギラの合成シーン。気配を感じて振り向いた万城目たちが目撃する巨大怪獣。次の瞬間、ペギラが口から冷凍光線を吐き、万城目たちは空中へと吹き飛ばされてしまう。このペギラの登場シーンには仰天し、すっかり魅了されてしまったのだ。

2017年7月19日

第13回 円谷英二社長が悩んでいたこと

 自分のプロダクションを設立した円谷英二は、東宝特技課出身で、ある事情から共同テレビで仕事をさせていた高野宏一キャメラマンを呼び寄せ、当時の円谷プロには日大芸術科にいた頃から円谷技術研究所に出入りしていた佐川和夫キャメラマン、合成の道に進んだ中野稔技師、稲垣浩監督の息子で成城大学を出て入社した稲垣湧三キャメラマン、長年東宝で助監督をしていた梶田興治監督、松竹特技課で木下恵介監督作品の合成や『忘れえぬ慕情』の特撮を手がけた川上景司特技監督とスタッフが集まったものの、それまで助手だった者が多く、予算とスケジュールを守って、技術者として責任を持って1本の作品を完成させていく体験がまったくない若手ばかりだった。

 「これは、もう少しベテランのスタッフを雇うしかないんじゃないか?」と考えた円谷社長は、東宝特撮映画の『地球防衛軍』『キングコング対ゴジラ』等で特撮キャメラマンを務めた有川貞昌キャメラマン、大映東京撮影所で映画『宇宙人東京に現わる』『鯨神』『釈迦』の特撮を担当した的場徹特技監督らに、特技監督としての参加を要請し始める。
 
 その頃、東宝撮影所を歩いていた円谷英二はある人物に声をかけられた。野長瀬三摩地さんである。
「〝おはようございます〟って挨拶したんだ。すると〝やあ、三ちゃん。いま何をやっているの?〟と聞かれて〝東宝テレビ部の第1回作品で『銀座立志伝』という源氏鶏太さん原作のメロドラマの監督をやっています〟と答えたら、〝監督デビューおめでとう。その作品はいつまでやるんだい?〟〝もうあと数本で終わりますよ〟」

「そうしたら円谷さんが〝実は、僕の会社でいま特撮のテレビ番組を作っていて、梶田興治君に監督してもらっているんだけど、本多組に戻さないといけない。TBSにいる息子の一とか若いディレクターもやっているが、難しい学生映画みたいな物が多くてね。問題がなかったら円谷プロに来て、判りやすくて面白い、娯楽性のある怪獣物やSFを撮ってくれないかなあ〟と言うんだ。〝東宝に言ってくれれば、僕の方は構わないですよ。次の仕事がまだ決まってないですから〟と答えたんだけど、そうやって立ち話から円谷プロへ行くことになったんだ」

 特撮だけではない、ドラマ部分のディレクターも新メンバーを揃えたいと考えていた円谷英二。やがてTBSの飯島敏宏ディレクターが参入して、その円谷も驚く仕上がりを作品の中に見せ始めていくのだ。

2017年7月18日

第12回 『モスラ』予告編の㊙エピソード

 映画の予告編は、ふつうチーフ助監督がその映画の一番良い所を撮り上がっているカットの中から選び、どう組み合わせるか、字幕のキャッチはどうするかといろいろ工夫して作るが、監督へのワンステップとして演出力を試される重要な仕事だった。

 黒澤明監督は予告編も作品だとして自ら手がけ、助監督任せにはしなかった。黒澤作品『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』のチーフ助監督だった野長瀬三摩地さんは、黒澤組を離れて古澤憲吾監督や他の監督に付き、『モスラ』で本多猪四郎監督のチーフ助監督を務めた。そして撮影が進む中、いよいよ予告編を作ることになる。

 黒澤監督の予告編作りを見ていたものの、怪獣のカットをどうやってつなげたらいいか「正直、考え込んでしまった」と野長瀬監督は述懐する。
「するとね、編集ルームで夜に作業していたら、円谷英二さんが〝三ちゃん、どう? 作業は進んでいるかい?〟と顔を出した。予告編のことが気になったんじゃないかな。
 〝なかなか難しいですね〟と言うと、円谷さんが〝東急デパートに突っ込むモスラのラッシュが上がってただろう。そのカットのBキャメラ、Cキャメラの分はどうした?〟と言うので、見つけて渡すと指でフィルムを送りながら、ハサミで切ってつないでいく」

「〝例えばさ、こうして繰り返して量感を出すやり方もあるんだ。ま、見てごらん〟と円谷監督が渡してくれたフィルムをムビオラで見ると、東急デパートに身をのけ反らせて突っ込むモスラ、山手線のガード越しに斜めに見上げたカット、恵比寿方面の裏側から撮った崩れるデパートのカットがつながっていて、モスラが突っ込む1カットだけとは違う量感があった」

 編集でこんなに見た感じが変わってしまうのかと野長瀬監督は仰天したという。
「〝まあ、こんな感じで1カットじゃなくて、カットの積み重ねが大事なんだ。参考になったかい?〟〝ありがとうございます〟そんなことがあったんだよ」と回想する野長瀬監督。

 ただし、その東急デパートのカットは予告編に使われていない。後から東京タワー関連のカットが上がってきたし、映画の見せ場をバラすわけにはいかないからだが、野長瀬監督が特撮の秘密を知った貴重な体験として、その心の中で熟成を続けていくのである。

2017年7月17日

第11回 川上景司特技監督の問題点

 「アンバランス」と呼ばれていた頃の『ウルトラQ』の初期作品の特技監督は川上景司だった。『ハワイ・マレー沖海戦』の特撮キャメラマンで、昭和18年松竹に移籍して昭和31年『忘れえぬ慕情』の特撮を担当して(特殊美術は石井清四郎、倉方茂雄)日本映画技術賞の特殊技術賞を受賞する。

 同年の『空の大怪獣ラドン』で賞を逃した円谷英二が昭和38年に円谷プロを設立すると、川上景司は松竹を辞めて円谷プロに参加し、日活映画『太平洋ひとりぼっち』の特撮シーンを演出した。『ウルトラQ』では「マンモスフラワー」「変身」「悪魔ッ子」「206便消滅す」の特技監督として高野宏一キャメラマンと共に特撮シーンを作り上げたが、ある問題があった。

 第二次世界大戦時、海軍の零戦パイロットだった梶田興治監督は「206便消滅す」にある思い入れがあった。
「あの戦争で戦った零戦やグラマン戦闘機が、東京上空の4次元ゾーンで平和に眠っている。もし、できるなら零戦がパタパタと翼をはためかせて、大空を舞ってもいいかなと思っていた。幻想的な4次元ゾーンだよね。
 ところが、川上さんはそれが全く判らなくて、飛行機や船をただリアルに撮るキャメラマンの発想だったので、そういうドラマ的な深みまではうまく出せなかった」と語ってくれた。

 それは、エモーショナルな怪獣が生むサスペンスを狙った野長瀬三摩地監督の「ペギラが来た!」で、さらに表面化してくるのである。


2017年7月16日

第10回 キャメラマンが挑んだ特技監督

 『ウルトラQ』の中で「クモ男爵」は、夜の霧の中で始まり、夜が明ける寸前の闇の中の霧で終っていく。何だか古老が囲炉裏端で話してくれる昔語りのようで、灯台や沼の中に建つクモの巣だらけの洋館と道具立ても揃っていて、脚本の金城哲夫と円谷一監督が日本を舞台にホラー・ファンタジー作品が作れるだろうかと挑戦した作品だった。ゲストもちょっとバタくさい若林映子や滝田裕介と豪華で、演技も見応えがあった。
 
 特技監督は東宝特撮映画『地球防衛軍』『美女と液体人間』『宇宙大戦争』『ガス人間第1号』『マタンゴ』など、本多猪四郎監督の右腕として本編ドラマ部分の撮影を担当してきた小泉一キャメラマンで、「育てよ!カメ」とこの作品が唯一の特技監督のキャリアだった。

 それまで手がけた特撮映画を通じて「自分が特撮をやるなら、こうは撮らない」と考えていたのではないかと思うようなカット割りで、操演中心の巨大グモの描写、崩れていく洋館の照明処理など、ドラマの中で見せる怪獣の描き方を工夫してサスペンスを高め、『ウルトラQ』の中では怪奇譚ともいうべきこのエピソードに貢献した。

 円谷英二にとって、本多組のキャメラマンとして深い信頼関係にあった小泉一特技監督は編集も見事にこなしていて、「ドラマのキャメラマンでも一流ならば、やはり特撮もこなせるんだ」という持論を証明できたのではないだろうか。

2017年7月15日

第9回 特撮の粗編集を続ける円谷英二

 『ウルトラQ』に関する取材をしていて、合成をすべて手がけた中野稔技師の「『ウルトラQ』の特撮カットは、どれも円谷英二のオヤジが粗編集しているからね。面白いのは当然だよ」という話は、特撮班の演出助手だった大木淳(のち淳吉)、記録の宍倉徳子のお二人からも聞いた。

 毎回、特撮カットのラッシュ・フィルムが上がると、1本を円谷家へ届けに行く。すると、着物姿の円谷英二が「どれどれ」と庭にある円谷研究所の建物の中でムビオラ(編集機)を回し、指でフィルムを送って見ながら各話の特撮シーンを少しずつ完成させていく。若い特撮マンやキャメラマンは、特撮を活かす編集テクニックをまだ身につけていなかったので、それを教えるためだった。

 合成カットについて、円谷一監督が「いつもゴジラみたいな光線が多いから、ナメゴンの光線は精子がピピュッと飛んでいく。そんなイメージで行こう」と注文。「なんか汚い感じだなあ」と中野さんは言うが、それでオタマジャクシのような形の怪光線になったのだ。

 「動物園に行くと、トラやライオンなんて目ヤニやヨダレを垂らしてる。怪獣でも何かネットリした生物っぽさを出せないか」とさらに注文する円谷一監督。それでナメゴンの全身にグリースを塗って光らせたり、ゴローがミルクを飲もうとして口からこぼれたり、怪獣の生物らしい特徴をスタッフが付け加えていったのである。


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