2017年7月19日

第13回 円谷英二社長が悩んでいたこと

 自分のプロダクションを設立した円谷英二は、東宝特技課出身で、ある事情から共同テレビで仕事をさせていた高野宏一キャメラマンを呼び寄せ、当時の円谷プロには日大芸術科にいた頃から円谷技術研究所に出入りしていた佐川和夫キャメラマン、合成の道に進んだ中野稔技師、稲垣浩監督の息子で成城大学を出て入社した稲垣湧三キャメラマン、長年東宝で助監督をしていた梶田興治監督、松竹特技課で木下恵介監督作品の合成や『忘れえぬ慕情』の特撮を手がけた川上景司特技監督とスタッフが集まったものの、それまで助手だった者が多く、予算とスケジュールを守って、技術者として責任を持って1本の作品を完成させていく体験がまったくない若手ばかりだった。

 「これは、もう少しベテランのスタッフを雇うしかないんじゃないか?」と考えた円谷社長は、東宝特撮映画の『地球防衛軍』『キングコング対ゴジラ』等で特撮キャメラマンを務めた有川貞昌キャメラマン、大映東京撮影所で映画『宇宙人東京に現わる』『鯨神』『釈迦』の特撮を担当した的場徹特技監督らに、特技監督としての参加を要請し始める。
 
 その頃、東宝撮影所を歩いていた円谷英二はある人物に声をかけられた。野長瀬三摩地さんである。
「〝おはようございます〟って挨拶したんだ。すると〝やあ、三ちゃん。いま何をやっているの?〟と聞かれて〝東宝テレビ部の第1回作品で『銀座立志伝』という源氏鶏太さん原作のメロドラマの監督をやっています〟と答えたら、〝監督デビューおめでとう。その作品はいつまでやるんだい?〟〝もうあと数本で終わりますよ〟」

「そうしたら円谷さんが〝実は、僕の会社でいま特撮のテレビ番組を作っていて、梶田興治君に監督してもらっているんだけど、本多組に戻さないといけない。TBSにいる息子の一とか若いディレクターもやっているが、難しい学生映画みたいな物が多くてね。問題がなかったら円谷プロに来て、判りやすくて面白い、娯楽性のある怪獣物やSFを撮ってくれないかなあ〟と言うんだ。〝東宝に言ってくれれば、僕の方は構わないですよ。次の仕事がまだ決まってないですから〟と答えたんだけど、そうやって立ち話から円谷プロへ行くことになったんだ」

 特撮だけではない、ドラマ部分のディレクターも新メンバーを揃えたいと考えていた円谷英二。やがてTBSの飯島敏宏ディレクターが参入して、その円谷も驚く仕上がりを作品の中に見せ始めていくのだ。

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