2017年7月17日

第11回 川上景司特技監督の問題点

 「アンバランス」と呼ばれていた頃の『ウルトラQ』の初期作品の特技監督は川上景司だった。『ハワイ・マレー沖海戦』の特撮キャメラマンで、昭和18年松竹に移籍して昭和31年『忘れえぬ慕情』の特撮を担当して(特殊美術は石井清四郎、倉方茂雄)日本映画技術賞の特殊技術賞を受賞する。

 同年の『空の大怪獣ラドン』で賞を逃した円谷英二が昭和38年に円谷プロを設立すると、川上景司は松竹を辞めて円谷プロに参加し、日活映画『太平洋ひとりぼっち』の特撮シーンを演出した。『ウルトラQ』では「マンモスフラワー」「変身」「悪魔ッ子」「206便消滅す」の特技監督として高野宏一キャメラマンと共に特撮シーンを作り上げたが、ある問題があった。

 第二次世界大戦時、海軍の零戦パイロットだった梶田興治監督は「206便消滅す」にある思い入れがあった。
「あの戦争で戦った零戦やグラマン戦闘機が、東京上空の4次元ゾーンで平和に眠っている。もし、できるなら零戦がパタパタと翼をはためかせて、大空を舞ってもいいかなと思っていた。幻想的な4次元ゾーンだよね。
 ところが、川上さんはそれが全く判らなくて、飛行機や船をただリアルに撮るキャメラマンの発想だったので、そういうドラマ的な深みまではうまく出せなかった」と語ってくれた。

 それは、エモーショナルな怪獣が生むサスペンスを狙った野長瀬三摩地監督の「ペギラが来た!」で、さらに表面化してくるのである。


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