2017年10月12日

EX11 セスナをコントロールする電話ボックス

 『ウルトラQ』の特撮美術監督・石井清四郎は、模型ミニチュア製作とその操演操作を行う石井製作所の社長で、ただ1人の社員が倉方茂雄技師であった。古い会社で、戦前の昭和16(1941)年の東宝映画『南海の花束』(監督・阿部豊)の大型飛行艇のミニチュアを製作している。 

 続く『ハワイ・マレー沖海戦』(1942/監督・山本嘉次郎)のミニチュアにも当然参加しただろう。そこで川上景司特撮キャメラマンと知り合い、昭和18(1943)年、松竹へ川上景司は移籍。昭和31(1956)年、日仏合作映画『忘れえぬ慕情』(イヴ・シャンピ監督)で川上景司特技監督に依頼され、嵐の中の長崎港で揺れる大型船舶の前半部を製作。そのリアリスティックな仕上がりは、この映画の日本映画技術賞特殊技術部門の受賞に貢献。映画業界に石井製作所(石井清四郎、倉方茂雄)の名を高めた。

 成田亨デザイナーに聞くと、長崎港のミニチュア・セットの方は成田さんたちが特殊美術で製作したとのこと。ニュー東映の映画『宇宙快速船』(1961/監督・太田浩児)の宇宙人の大型円盤母船と円盤の金属モデルも、石井製作所のミニチュアだった。

 昭和38(1963)年、円谷プロ設立時に川上景司特技監督に誘われ、模型製作、特撮美術スタッフとして石井清四郎社長と倉方茂雄技師は会社ごと円谷プロに参加し、日活映画『太平洋ひとりぼっち』(1963/監督・市川崑)のヨット・マーメイド号の1/2と1/4スケールの2つの大型ミニチュアを製作した。

 『ウルトラQ』では企画当初の『アンバランス』の時代に、主人公・万城目淳(佐原健二)の乗るセスナ機のミニチュアを製作。そのセスナを操演するために、電話ボックスにクレーンを取り付け、中に乗り込んだ人間が1本レバーの操縦レバーで上下左右にセスナの主翼をバンクするシステムを倉方技師が製作。東京美術センター(スタッフは美センと呼んでいた。後の東宝ビルト)の端の崖からクレーンで突き出して、本物の空バックで旋回したりパンしたりするセスナを撮影し、特撮ステージの空バックの前にクレーンを運んで撮影した。

 「マンモスフラワー」「宇宙からの贈りもの」「甘い蜜の恐怖」「バルンガ」「東京氷河期」と使われたが、ヘリコプターの実機の映像が評判が良くて、星川航空の実機のセスナの方の撮影も慣れてきて多用するようになり、セスナの特撮の出番はしだいに少なくなっていった。

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