2017年10月14日

EX13 ペギラのメイキング

 1960年頃、高山良策は東映の東京撮影所の知り合いのスタッフから、糸で吊って操る蝶の作り物を頼まれて、操作しやすいように和紙を削って軽く仕上げた数匹を作って、とても喜ばれた。高山が人形映画や人形アニメの映画を作っているのを知っている友人は、東映動画(現在の東映アニメーション)の映画スタジオを見学していかないかと誘ってくれ、1958(昭和33)年にできたばかりのスタジオを見学した。

 戦後すぐの1947〜49(昭和22〜24)年、東宝教育映画でセル撮影のアニメーションを知っていた高山だが、当時はモノクロ映画だった。まるでディズニー映画のようにカラー、ワイド画面用のセルは美しかった。

 東映動画のスタッフに、セルは裏から塗ると表から見てきれいなんですよと言われて、「それくらい知ってるよ」と内心では思ったが、カラーのセルの裏表を見ると、本当にきれいに見えて、「人形の目も透明パーツの裏から色を塗るときれいに見えるかもしれないな」と思って、自宅に帰ってから利子夫人にその話をしてみた。ただし、子供向けの学研や小学館の学年誌のカラーグラビア用の人形はサイズが30センチくらいで、目も小さく、それを応用したことはなかった。

 その記憶が甦って試してみたのが、怪獣ペギラの両目だった。透明のアクリル・パーツの内側から目の玉が塗られていて、目の透明感を高めていた。電球の明るさを調整していたのは機電の倉方茂雄技師で、電圧を高めて明るくすると、目の裏に描かれた目の玉の部分が光の中に消えて、まるで白く光る目のようになり、ペギラの表情に恐怖のイメージを作り出していた。

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