2017年9月16日

第71回 「あけてくれ!」の衝撃

 「あけてくれ!」がなぜ、再放送で初めて電波に乗ったのか、長い間の疑問だった。1973年頃、円谷プロに行く機会があり、竹内博さんに会って「あれは『ウルトラマン前夜祭』を放送するため、オクラになったんだ」と言われて「へーっ」と思いながら、まだ納得できないでいた。
 1990年代になって、朝日ソノラマのファンタスティック・コレクション『ウルトラQ』で、竹内博さんに栫井巍プロデューサーの取材を依頼され、TBS1階の喫茶部で栫井さんにお話を聞いて、初めて事情が判明した。

「1965年12月には、『ウルトラQ』すべての撮影が終わって、どういう放送順で行くか、全話をカードにして、宇宙怪獣、山の怪獣、海の怪獣、怪奇、ファンタジーと分類して、同じような話が続かないように何度も並べ替えて考えた。怪獣の出ない『変身』や『悪魔ッ子』『あけてくれ!』は後ろに回して、『206便消滅す』を最終回にした。
 本当は第1回は『宇宙からの贈りもの』で行くつもりだったんだけど、円谷一君が飯島敏宏君の脚本で撮った『ゴメスを倒せ!』はTBSのディレクター2人の作品だから1話にしてくれと言ってきて、僕的には怪獣が2匹出てきて派手でいいかと、ギリギリで変更した。
 『あけてくれ!』は、『ウルトラマン』の撮影が遅れていて、何とか間に合わせてくれと時間稼ぎの苦肉の策で『ウルトラマン前夜祭』を入れて、そのために放送しなかったんです。再放送でやればいいと思ったし、新番組の『ウルトラマン』を宣伝する方が大事でしたからね」
 と、栫井プロデューサーは話してくれた(注)

 1970年代末に、朝日ソノラマのファンタスティック・コレクションが出て放送リストが公開されるまで、怪獣ファンや特撮ファンが集まると『ウルトラQ』の「あけてくれ!」って知ってるかい?と話すのが常だった。
 『ウルトラQ』の印象が今でも強いのは、そんな幻の作品が、まるでトゲのようにシリーズに突き刺さっているからなのかもしれない。

注:後の栫井氏や関係者の証言、当時の資料等では、怪獣の出ない「あけてくれ!」が難解な内容でもあったので本放送から外し、番宣番組を挟んで予定通り「ウルトラマン」の放送がスタートしたとある。

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